ポケモンのゲームが人生に教えてくれたこと

ポケットモンスターというゲームがある。

はじめて手にした「赤・緑」は幼稚園児のときだった。そのときは文字も読めなかったので、ほとんど父が進めていた。

次に手にした「金・銀」は小学生のとき、難してくて中々クリアできなかった。アカネのミルタンクに何回泣かされたことだろうか?

「ルビー・サファイア」も小学生。やはり、3番目のジムリーダーには苦戦を強いられた。

「ダイヤモンド・パール」の頃からだっただろうか?一回も敗北せずにチャンピオンになることができたのは・・・。

それ以降は、ポケモンのゲームをクリアするのに苦労しなくなっていった。全てのポケモンを育てずに、最初に選んだポケモンのみを育てた方が勝てる。そんな効率的な方法に気づいてしまったのだ。

しかしそれと同時にゲームにかける時間も少なくなっていった。悪くいうと、早く飽きるようになってきたのだ。

クリアするまでは「早くクリアしたい」という衝動に駆られてイキイキするのだが、いざクリアしてしまうと達成感と同時に終わってしまったという切なさを感じる。

 

効率的にクリアすることは、そのコンテンツを早くつまらないものにする力がある。購入金額に見合った楽しみを得ることから遠ざけるのだ。

目標が簡単に達成できるのは素晴らしいことのように思えるかもしれないが、何でもかんでも簡単に達成できてしまうと、それはそれでつまらなくなってくる。

そう、目標は汗水垂らして達成するまでが楽しいのである。

目標が達成できないことを悲観している人をよく見かける。その目標が達成できたら、幸せになれると信じ、達成できていない自分を不幸であるように感じているのだ。

しかし、仮にその目標を達成しても幸せにはならない。確かに一瞬だけこれ以上ない達成感を感じるのだが、しばらくするとちょっとした切なさを覚え、そしてまた新しい目標を掲げる。そして苦しむ。

なぜなら、本当の幸せは目標を達成するまでの積み重ねであることに気づけていないからだ。

過去の筆者がそうだった。恋人ができたら、結婚ができたら、お金が稼げたら、・・・、などなど、たくさんの目標を掲げて苦しんできたが、実際に達成して振り返ってみると、目標をがむしゃらに追いかけていた日々の方が楽しかったように感じる。もちろん今の結婚生活も楽しいのだが、婚活も何かに追われるようにではなく、次にどんな人に出会えるのだろうか、とか、次はどんなデートプランでどんな会話をしようか、とかもっと前向きに楽しめばよかったなと後悔している。

 

人生を効率的に楽にクリアしても、味気ないものとなってしまうだろう。

ときには遠回りして、ときには敗北して、それでも一歩づつ前進する人生というゲームを読者には楽しんでほしい。

 


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